2ヶ月ぶりの外遊び。
参加者は二組、なれど二人とも面白いお年頃。

「あ、大きな木」と大人たちが会話していると、突如「お お〜きな のっぽの ふるどけい〜♪」と大声で歌を歌い出すAちゃん。
言葉から歌へ・・・その後も名曲を披露しみんなを楽しませる。

「だっこ〜」と甘えるMちゃんに「Aちゃんと競争」と言うと、表情を変え本気ダッシュ!!
対抗心は大事だ。

そしてどこにでも上りたがる二人。
無理と思われる垂直の崖にも果敢に挑戦。
見ていて飽きないなあ〜。

セレンさんに借りた虫眼鏡で小さな花や虫を見ようとするが・・・程よい距離感をつかむのはちょっと難しく、持っているだけで満足な感じ。
虫眼鏡で見る草花に大人が感動。
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鬼柚が沢山実をつけていた。
来月には色が変わっているかな?
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むくろじも鈴なり〜 来月拾うのが楽しみだ。
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ただし、葉っぱの裏にイラガの幼虫大発生だから、要注意。

ああ〜、孫たちも誘って「外遊び」できるようになるといいなあ〜



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# by coco-an | 2017-09-23 09:28 | イベント報告 | Trackback | Comments(0)

あるがまま

ここあん周辺には空き屋が多い。
人がちゃんと棲んで手入れすれば「家」として棲む人の暮らしを彩るであろう古き家たち。
もったいないなあ〜。
家は徐々に傷んでいくのが見えて悲しいが、その周りの庭はエネルギーに溢れている。
木などは自由に伸び伸びと枝葉を広げてゆくし、草だってもう草などとは呼べない立派さで成長し、世代交代を繰り返す。
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ついこの前、美しいあじさいのお姉様を見かけた。
あるがままの美しさ。
「きれいよ」と声を掛ける。
しかし路地に覆い被さるように枝を広げる木々や雑草をそのままにはできぬ。
数日前、シルバーさんにより丸坊主にされちゃった。
なれどそれも一時のこと。
そろりそろり、植物たちはその勢力を回復していくことだろう。

さて、ここあんの裏庭もジャングル化進行中。
バーベキューのかまど、Oちゃんの小道は全く見えなくなっている。
おそるべし草の力。
あるがままの庭と共生するのは難しい・・・。
悪いけど、こちらも一掃させていただかねば。


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# by coco-an | 2017-09-20 08:36 | 庵主ひとりごと | Trackback | Comments(0)

愛着のきざし

めいちゃん(孫、3ヶ月半)も人見知りが本格化しはじめたようで、親以外の人間に抱かれると泣いてしまう。
ある程度の距離を置いて関わるのは良いのだが、近づくと途端に下唇に力が入りベソをかく。
じいじ、ばあば、大きいばあちゃんの顔を順番に見て、必死で泣くのをこらえる姿が何とも愛おしい。

泣かれちゃうかもと思いつつ、めいちゃんを抱き上げる。
めいちゃんの偉いところは、わらべうたをうたっている最中はひとまず泣かないこと。
だっこしてゆらゆらしながら歌っている間はOK!
しかし、顔をのぞき込んではならない。
目が合った瞬間表情が一変する。
昨日は♪ずいずいずっころばしが良かったみたい。

しかし、長くは持たない。
結局泣かれてしまい、パパに助けを求める。
パパに抱かれ、恨めしそうな顔をしてばあばを見るめいちゃん。

パパとママを信頼しきっているんだろうね。
「どうして他の人に抱かせたりしたのか」とでも文句を言うように甘える表情と声で盛んに訴え続ける姿がまた可愛い。

「めいちゃんは、パパ(ママ)が大好きだなあ〜」
「やっぱり、パパ(ママ)じゃないとだめだなあ」
そう幾度も言って、パパ(ママ)を応援するばあばである。

愛着。
佐々木正美先生が
「はじまりは愛着から」とおっしゃったように、子育てのベース、出発点なのだなあ〜と孫たちを見ながらしみじみ思う。
親を求める気持ち。
安心できる人の存在とその人への絶対的信頼。
それがないことには、心の成長のステップを次へと進められない。

しばらくは我慢、そして見守りのばあばである。


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# by coco-an | 2017-09-19 08:49 | 孫日記 | Trackback | Comments(0)
わらべうたの会(あぶぶ・とことこ)は継続参加をお願いしている。
それは、わらべうたで遊ぶことを、親子の関係ばかりではなく、毎月出会うお子さんと(私と)の関係、お子さん同士の関係を育む中で続けていきたいと思うから。
「とことこ」(2歳以上のお子さん対象)は、そういった意味で、大変面白い。

わらべうたの会を始めて間もない頃、「とことこ」は、人も定着しないし、思うようにできなくて、幾度もやめてしまいたいと考えた。
思うように、というのは、子どもたちが集中できなくて遊び始めてしまったり、絵本に興味を示さなかったり、つまり、じっとしない(させられない)ことへの不満(ふがいなさ)のこと。
まあ、そもそも「とことこ」という名前が表すように、自分の気持ちの赴くまま、あっちこっちに歩き出してしまう年頃の人たちなのだから、当たり前のことなのだが・・・。
それが変化し始めたのは、ある程度の人数が集まりメンバーが固定化してからだ。
わたしは何もしていない。
子どもたちの力で、その場がつくられていった。
「じっとしない3人組」と呼ぶお子さんたちがいた。
わらべうたの途中、絵本の途中などで、ひとりが動き出すと2名が便乗し、3人揃ってどこかへ行ってしまう。
それに引きずられないお子さんも必ずいるし、何よりお母さんたちが参加し続けているので、やがて3人組はその膝に戻ってくる。
この「じっとしない3人組」はやがて、長いお話し(絵本)を最期まで楽しめる人になり、わらべうたを自ら楽しめる人たちになっていった。
子ども同士で影響し合ながら、それを見守る親同士も影響し合っているのだろう。
「わらべうた」や「絵本」、そしてここあんという「場」がそうして親子の成長を支えているのだとしたら、嬉しいな。

お子さんが「あぶぶ」や「とことこ」の最中、お母さんの膝を離れ、どこかへ行ってしまったとしても、無理に引き戻さなくていいのです。
お子さんに「見ているよ」オーラを出しつつ、わらべうたはおかあさんが覚えて帰ればよい。
私はそう思っています。
お子さん自身が自分の意思で「あぶぶ」や「とことこ」に来ているわけではないのですもの。
お子さんたちがお膝を離れるとき、それは外への興味が膨らんでいる証拠。
無理強いするのでなく、理解しつつそっと引き戻してあげられると良いですね。
大丈夫、お子さんは安心できる場所に必ず戻って来るはずです。

自分の意思でここに来ているんだな、と感じられるようになるのは3歳を過ぎ、4歳がが近くなってからだろうか。
そこまで通って下さると嬉しいですね。








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# by coco-an | 2017-09-17 09:49 | 庵主ひとりごと | Trackback | Comments(0)
歌子さん・ピン太郎さんを見送ったのは一昨日の午後。
仕事したり、誰かとお喋りしたり、何かと忙しくしたあと、静かな時間がやってくると、響いてくるのは歌子さんの声。
♪えがお えがお 君の・・・(しあわせのはかりかた)
♪もっこもこ〜 ひつじぐもだよ・・・(もっこもこ)
♪ママのこころも〜(ほっぺにちゅっちゅっ!)・・・
こうして私の耳の底に響き続けるくらいだもの、小さな人たちの耳の底にもきっと響き続けているのだろうな〜。
歌声が残すものは大きい。
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歌子さん、こんな本を書いていらっしゃるくらいだもの、さすが、伝わる声なんだね。

以前、賢治の学校の鳥山敏子さん(故人)のWSを受けたとき、声や言葉だけではない「伝える」力(気のようなもの)が必要なことを知った。
ずらりと並ぶ背中を向けている人に向かい、この人って思う人に呼びかけてみる。
呼ばれた方は、「自分が呼ばれた」って感じたら振り向く、というWS。
案外、というかほとんど思う人には声が届いていないものなのだ。
これは声が大きいとか小さいという問題ではない。
相手に届く声、相手に届く言葉。
本当の意味での会話をどれだけしているのか、日頃、薄っぺらいうわべだけの、言葉というにはほど遠い文字の羅列のような会話ばかりをしていたんだなあ〜って思った。

さて、歌子さんの言う「伝わる声のつくり方」はどんなのかな?
本が届くのを楽しみに待っている。



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# by coco-an | 2017-09-15 08:31 | 庵主ひとりごと | Trackback | Comments(0)

ここあん(子己庵)開設情報・日々のあれこれ


by coco-an