カテゴリ:庵主ひとりごと( 823 )

”あぶぶ”中止の連絡終了。
皆さんとても残念がって下さり、申し訳ない040.gif

「これから益々降り積もるに違いない」
そう思い、じゃんじゃん雪の降る中ここあんへ。
なぜ?って、灯油ストーブとカセットコンロを確保するため。
わが家はオール電化住宅ゆえ、停電にでもなったらお手上げだから。
雪まみれになりながらわが家へ戻りしばらくすると・・・
あれ?青空が058.gif

これなら”あぶぶ”開催できたんじゃないの〜と悔やまれる。
仕方ない、車の雪下ろし&玄関周りの雪かきでもするか。
昨夜からテレビの枠に出続けていた(NHKテレビ)大雪情報(鳥取県)など、いつの間にか消えてるし・・・。
なんだかなあ〜。
雪が止んでお日様がでるのは嬉しいが、どことなく悔やまれる気持ちもあり・・・
うぇ〜ん、気持ちが晴れないよ〜。
来月またお会いできるのを楽しみに、今日は行儀良く過ごしましょう。

悔やんだとてどうにもならぬので、あぶぶで歌うはずだったわらべうたを紹介しておくね。
060.gif豆にちなんだわらべうたオンパレード♪

♪おにはそと
 おにはそと ふくはうち
 おにのめは ぴっかりこ
 うまのめは ぱっちりこ

♪おにさのるすに
 おにさの るすに まめ いって がらがら

♪あずきちょまめちょ
 あずきちょ まめちょ やかんの つぶれちょ

♪まめっちょ
 まめっちょ まめっちょ いった まめ ぼりぼり
 いんねえ まめ なまぐせ 
 すずめらも まわっから おれらも まわっぺ(まわりましょ)

♪ちっちゃいまめ
 ちっちゃいまめ ころころ ち〜っとふくれて ころころ
 もちっと ふくれて ころころ
 もちっと ふくれて ころころ
 こんなに ふくれて ころころ

♪ふくすけさん
 ふくすけさん えんどうまめが こげるよ
 はやく いって かんましな

2月12日(日)10時半〜 夢みなとタワーにて
劇場さん主催の「わいわいカーニバル」♪わらべうたコーナーを担当します。
豆にちなんだわらべうたも歌いましょうね。
どなたでも参加できますので、ぜひお出かけ下さい。
子どもフリマや工作など親子でお楽しみいただけますよ。
大雪のため中止となりました(2月11日決定)



 




[PR]
巨大80センチ天然鯛との格闘から一夜あけて。
「あ、これを忘れてた〜」
d0131255_11312481.jpg
息子らに持ち帰らせるため、身体の方は必死で5枚卸にしたのだが・・・。
体力使い果たして、頭を裏の物置に放置(失礼)したままだったわ。
小さそうに見えるかも(斜めになっているので)ですが、ホントに大きくて愛用の出刃包丁では歯が立たぬ。
ならばこのまま大鍋で茹でてしまおうかと考えるも、え!鍋に入らない。
ああして・・・こうして・・・、できる限り分解し、残った部分から身をほじくり出す作戦。
ふう〜。

解体ショーから二日目の朝(つまり今朝ね)、二の腕が何故か痛み出す。
ぬぬぬ、筋肉痛を発症した模様。
めで鯛は美味しく、そして痛かった。


[PR]
92歳のばあちゃんは、もしかして私に甘えていいるのではないか?
そんなことに気づく。
は〜、へ〜、ふ〜、アイタタ・・・015.gif
「具合が悪い?」と問うと
「○×・・・ほにゃ・・・はにゃ・・・フガフガ」
か細い声で、聞き取れぬ言葉をつぶやく。
しばらくして、息子(孫)がやって来ると
「○○ちゃん、来てや」と別人のように晴れやかな顔で声を掛ける。
ぬぬぬ・・・。
腰痛→痛いから動かない→寝てばかりいる→筋力低下→筋肉痛→痛いから動きたくない→なお一層筋力低下
もはや叱咤激励だけでは悪循環を断ち切ることは不能とみて、介護認定を受ける手はずを整えた。

さて昨日は孫たち(二夫婦)大集合で「93歳誕生会」(2日ほど早いが)を開催。
部屋から出てこれるのか?と案じつつ
「今日は若い人たちが来てくれるんだから、着替えて、髪なととかしてみたらどげなですか?」
めそめそ、め〜め〜、泣きっ面ばあさんに一言。
すると夕方。
何をするにも「痛くて動かれん」と泣き言ばかりのばあさんが、何と自力でお着替え、こざっぱりとした出で立ちで、自らそろりそろりとお出ましに。
その姿は、別人の如く005.gif

一日三食、あの手この手で食べさせようと試みた私はなんであったか・・・。
「もう食べられん」「ちょっこし多いやな」と手で皿を向こうに追いやる姿はどこへ?
孫についでもらうジンジャーエールをおかわりし、
いつもと変わらぬ味のポトフを「美味しいなあ」ってどの口が申しておるのかとあきれるばかり。
ケーキのロウソクを勢いよく吹き消すことだってできるしね。

一夜明けて、昨夜の元気はどうやら健在。
毎朝の「○×・・・ほにゃ・・・はにゃ・・・フガフガ」は消え失せて順調な滑り出し。
リンゴを少しお残ししたものの朝食はほぼ完食。
孫の威力は絶大だなあ〜。

「ところでねえ、いつも皆々さんの誕生日にごちそうつくるんだけど、かあちゃんの誕生日に何かつくってくれるとか“食べに行こうか”なんてのがないんだよねえ〜、どうしてかなあ?」
「そう言えば、そうだね〜」と夫。
(え?言われてはじめて気づくのか!)
まあいいや。してもらうより、してあげるほうがずっとずっと幸せだもの。

ついでに、昨夜はおまけの出来事まで勃発。
宴たけなわの7時半、ピンポーン!「○○です」。
「今、釣ってきただがん」夫の友人から巨大な鯛が005.gif
ぬお〜っ!
驚いた夫がメジャーで計測すると・・・全長80センチ005.gif005.gif005.gif
誕生会の余興に「鯛の解体ショー」と相成った。
ギャラリーの見守る中、およそ40分かけて巨大鯛の5枚卸。
一同固唾をのんで見守り続け、誰一人写真に納めようなどとは思いもつかず。
終わってから「動画に納めれば良かったなあ」って。
とにもかくにも、よく頑張ったな、私。





[PR]
節分。

豆は美味しいけれど、もはや食べきれる数(年)でもなし。
(家族3名の年の数を合わせると・・・何と214005.gif
豆ご飯(大豆で)でもこしらえようか。

昨日のメディア講座はお子様連れでしたので、最後におまけのわらべうたをしました。
お家の人の膝にだかれ、手足の指を小指から順にコロコロしてもらいます。
♪ちっちゃいまめ こーろころ 
 ちーっとふくれて こーろころ
 もちっとふくれて こーろころ
 もちっとふくれて こーろころ
 こんなにふくれて こーろころ
小さな人たち、とろけちゃいそうな表情でしばし抱かれておりました。

最近の豆は食べやすく(砕けやすい)処理してはありますが、小さいお子さんは食べない方が良いと私は考えています。
砕いた状態であっても、ナッツ、豆などは誤嚥した後膨らむので、時間が経過してから重篤な症状を発する場合があります。
しっかり噛んで食べられる年令になっていても要注意。
豆やあられなどを食べているときは決して話しかけてはいけません。
返事をしようとして息を吸い込むとき、小さくて軽いものは誤嚥しやすいのです。
昨日から、ニュースなどでも盛んに「豆の誤嚥注意」を呼びかけています。
お子さんには「きなこ」を使ったひと品、煮豆、などで代用するのがいいのではと思います。

節分を過ぎると「立春」。
春という字を見るだけで、春という響きを聞くだけで何だかほっこりしますね。





[PR]
加古里子さん作、だるまちゃんシリーズの最新作を入手して良い気分。
だるまちゃん誕生から50年ですって。
すごいなあ〜。
こんな音頭まで出来ていたなんて012.gif
ちょっと真似して踊りたくなっちゃった。


[PR]
FBで、子どものいじめについての記事を目にした。
「しんでよね」「しね」と紙や机に書かれたりしたのだって。

「ある意味、子どもは残酷」などと言いますが・・・。
それはきっと、思ったことをストレートに口に出すことがあるからだろう。
「きらい!」「あっち行って」「もう、遊ばない」とか。
大人の目から見ると「そんな風に言わなくても」って感じることもある。
でもその言葉の裏側に「大好き」「一緒にいて」「遊びたいんだ」って感情があるってことは、ちゃんと分かっている。

「しんでよね」という言葉。
果たしてその言葉の裏側に、善意の感情が潜んでいただろうか?
言われた子どもの気持ちを思うと胸が痛くなる。
発した子どもの気持ちは・・・。
私にはどうしても理解することが出来ない。
けれど子どもを非難することもできない。
だって、言わせたのは大人なんだから。
人を攻撃する、傷つける、そのようなことをしてしまう子ども。
どうしてそうしてしまうのかを周りの大人こそが考えなければならない。
最も責任を負うべきは親。
学校や教育委員会が矢面に立たされるばかりで真実は見えない。

息子が低学年の頃の出来事。
持ち帰ったテストの答案に「バカ」と書かれているのを不思議に思い「これ、なあに?」と聞くと、「○○ちゃんが書いた」と言う。
聞けば、隣同士で交換して丸付けをしたらしく、間違いがあった息子の答案に「バカ」と記して返したのだと。
私はとてもショックを受けた。
「間違えるからって、バカじゃないよね。」
かろうじてそう言い、少し悲しげな息子の肩を抱いた。
よく知っている(ご両親共に)お子さんだった。
後にお母さんと出会うことがあり、その話を伝えると「そういう言葉使いたがるよね」とあっけらかんとしていて唖然としたのを覚えている。
物事の捉え方は人それぞれ、痛みの感じ方も違うことを突きつけられたようだった。
子どもは、傷つけたり傷つけられたり、嫌な思いをして学んでいくのだろう。
ひとまずその時はそう理解することにした。

20年以上経った今、振り返って思う。
子どもであっても、人を傷つけるような言葉を発してはいけないんだと。
その時々に諭し、過ちを認めさせるべきではないか。
小さな出来事だけど、その一件は私の中で解決されないまま今なお「不信感」というしこりとなって胸の奥に存在している。

子どもには、心が喜ぶ言葉をたくさん伝えよう。
人を嫌な気持ちにさせる言葉など、どこかへ葬り去ってしまうほど、美しい言葉を与えてあげたい。





[PR]
先日、若きジャズピアニストの演奏会に出かけた。
息子の同級生ということもあり、夫と二人出かける予定だったが、結局仕事が入って行けなくなり、私一人で出かけた。

一人で出かけるのには慣れている。
演奏会やお芝居。遠くまで出かけるほどの愛好家ではないが、鑑賞の機会は少なくない。
お役目で出かけることも多く、お役目、というのは、主催する側の目線、ということだが、そうなると心から楽しむことは、なかなか難しい。

さて、今回のジャズライブ。
はじめの方こそいつもの癖で「雑念」が浮かんでは消え、していたのだが、やがて様々な雑念は全て払拭された。
息子の同級生だとか、ご両親をはじめ、彼を応援してきた人のこととか・・・
そんなことの何もかもをすっかりどこかへ追いやり、ただただ、彼らの奏でる音楽に身を任せていた。
と同時に、私は今「わたしだけの時間」の中にいると気づいた。
わたしの心の奥底にある「魂」が喜びを感じている、とても豊かで幸せな時間がしばし流れた。
素晴らしいジャズピアニストであり作曲家、彼らと共に音の世界を旅する、至福の時。
ああ、心って自由になるんだなあ。
私はその日、「わたしの時間」を取り戻し、晴れやかな気持ちで家へ帰った。

そしてもうひとつ発見した。
ジャズというのをいまひとつ理解できずにいたけれど、
私的理解は「裸のつきあい」012.gif
言葉どころか、名前、年令、性別・・・なにもかも脱ぎ捨てて、その人自身ありのまま、音の世界で交流すること。
音というか、きっとリズムなんだろうね。
自分勝手な解釈だけど、それに気づかせてくれた彼らに感謝しなくっちゃ。

「わたしの時間」。また、見つけよう。






[PR]
大雪により、おこもり中。
晴れ間に雪かき、時折ラジオ体操、仕事すれば良いのに仕事には集中できず、つい手わるさです。
d0131255_09504653.jpg
耳までこっぽり・・・の帽子。
これで雪かきも寒くないかな。

[PR]

この冬はじめての本格的な積雪。
どうやら今日は一日、降り続きそうです。

雪が降ると、子どもの頃を思い出す。
雪は遊び相手でもあったけど、時に全く様子を変えて襲いかかることもあり、大好きだけど恐ろしい、特別な存在だったからでしょうか。
お空の上からはかなげに舞い降りてきたかと思うと、じゃんじゃんどかどかと落ちてきたり、手のひらで受けるとすぐにしずくになってしまうのに、みるみる積もって何もかも真っ白に覆い隠してしまう様はまるで魔法のよう。
刻々と姿を変え、人々を翻弄し、やがて消えてしまう。

雪の記憶には必ず大人の姿がともにあって、例えば・・・
雪の積もった朝、町内のおじさんが大きな長靴で足跡をつけながら通学路の先頭を歩いてくれたこと。
子どもたちはその後を一列に並んで学校まで歩いた。
帰り道、猛吹雪に遭い、一歩も先へ進めなくなって通り道のお宅で雨宿りならぬ「雪宿り」させてもらったこと。
ストーブの上で手袋を乾かしてもらい、その温かくなった手袋に手を入れた瞬間のぬくもり。

雪の中を、だまって歩き続けながら、子どもの私は何を考えていただろう。
じんじんする手足の感覚。
長靴に雪が入らないようにそっとあるくけれど、長靴より深く積もった新雪の上を歩いているのだから必ず雪が入ってしまう。
その雪が長靴の中で溶けて、いつも足はぬれてしまうんだ。
そして帰るとき、ぬれた長靴はとても冷たい。
そうした感覚は今も鮮明に思い出すことが出来る。

登下校の思い出は、私にとってこの上ない財産になり、これからも私を励まし続けるだろう。
小学校が遠かったからこその豊かな体験、ありがとう。



[PR]
幼い子どもが親に「ねえ、読んで」と絵本をねだるとき、「こっち見て」とおんなじだって誰かが言っていたけれど、ホントにそうだと思う。
「だっこして」とか「そばにいて」とか、「一緒に遊ぼう」・・・そういう気持ちでもあるのだろうね。
絵本を読むとき、親はやりかけていた全てをやめなきゃならないのだからね。
大好きなお母さん、お父さんを独占できる時間。
「ねえ、読んで」はその時間を求める声だと思う。

一方で、親以外の人に「ねえ、読んで」とねだることもある。
ここあんで、小さな人たちと過ごしていると、不意にひとりが絵本を差し出してくることがある。
「これ、読む?」と問うと、「うん」と頷くので、「じゃあ、読もう」と絵本を開き、読み始める。
すると次々に小さい人が集まってきて、私の膝の周りはすっかり取り囲まれてしまう。
私は親ではないけれど、この人たちはきっと「絵本を読んでくれる人」って思っているのだろうね。
こうなるとそれぞれ次に読んでもらう一冊をどこからか調達してその場に集うようになり、「おしまい」の声にさっと次の絵本を差し出す手際の良さ。
終わらないお話し会のはじまり。
何のためらいもなく私の膝にお座りする人もいて、「あら、あら」と嬉しい悲鳴。
次から次に差し出される絵本を読み、「もう一回」と声にならない眼差しでの訴えに応えるひととき。
絵本をじっと見つめる小さな瞳のその真剣さに驚かされながら、お話しの世界を共に旅する楽しさを満喫する。

子どもには「ねえ、読んで」と言える人が親以外にたくさん必要なんじゃないかな。
祖父母であったり、私のように定期的に出会うおばあさんであったり・・・
親も子も安心して過ごせる場や人があること。
「ここあん」がそういう場になれているのだとしたら、うれしいな。

「ねえ、読んで」
言う方と言ってもらう方、どちらも等しく幸せ。
対等で良好な人間関係がそこに生まれる。
親子とは少し立場の違う関係性がきっと子どもには必要なんだろうね。



[PR]