カテゴリ:庵主ひとりごと( 823 )

今朝起きてびっくり、あれ?晴れてるじゃん005.gif
昨夕の暴風と冷え込みに恐れをなし、「土曜日文庫中止」って参加予定者にメール送信したのに015.gif

ひとまずここあんに出勤し、肩すかしをくらったようなお天気に「何だかなあ〜」とぼやく。
雪が降れば困る。
だけどどこかで雪を待つ心もあったりして、勝手だなあ〜私。

さあさあ、ここあんの掃除でもしましょうね。

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私は妹。
「おねえちゃん」
「おねえちゃ〜ん」
子どもの頃、きっと何万回も呼んだに違いない。
「おかあさ〜ん」よりたくさん呼んだな、きっと。

いつも甘えていた。
いつも助けてくれた。
「妹は得だ」
本当にそうだったと思う。
ごめんね、おねえちゃん。
先に生まれてくれて、ありがとう。

生まれてくる順番を、神様が決めるのだとしたら
二番目に生まれる者や、三番目に生まれる者にも
それぞれに役割や使命を与えているのだろう。

2番目に生まれた私は・・・
甘えてばかりで良かったのだろうか。
この年になって改めて考える。

「おねえちゃん」って呼ばれるのはどんな気持ちかな。
「ねえ、おねえちゃん」って呼ぶ方の気持ちをお姉ちゃんは知ってるかな。

お姉ちゃんは先に生まれたのを損だって思っているかも知れないけれど
私はまた、お姉ちゃんの妹に生まれたいと思っている。
すごく勝手な話しだね。
でも仕方ない、妹ってそういうものなんだから023.gifね。

ここあんにいて、小さな姉妹、兄弟たちの様子を見る度に、
その存在がどんなに尊いかを教えられます。

私の「おねえちゃん」、ありがとう。





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満93歳、一人暮らしの叔母は、いつもうっすらとお化粧をし、髪を丁寧に結い上げて身ぎれいにしている。
耳に添う形のイヤリングも欠かさない。
「おばあちゃんの口癖だったが・・・いつでも身ぎれいにしておかないけんって」
「外へ出るときはいっつも綺麗な白足袋履いてなあ〜」
母親(私の祖母)のことを引き合いに出し話した。

そうだな、おさわばあさんはいつもきちんと着物を着ていた。
毎朝起きると寝床の中で独自の体操をした。
身体がほぐれると着替えをし、鏡に向かった。
衣類を汚さぬようにケープを掛けて髪を結う。
ひとつひとつに時間をかけてね。
紅をつけるようなことはなかったが、顔や手からは常にコールドクリームのにおいがしていた。

今思うと、おさわばあさんは自立した人だったんだ。
ほぼ一日自室で過ごしていたが、最後まで自分の毎日を自力でこなしていたもの。
新聞や週刊誌を隅から隅まで読む。
一日をスケジュールどおりに淡々と過ごす。
友達というような人などなく、老人会とかの集まりに参加するのを好まない人だったが、
自分の時間をひとりで楽しめる人だったんだろうなあ。
娘たち(叔母たち)に半ば強制的に与えられる任務(毛糸編みや裁縫など)をぼちぼちこなし、手を動かすこと、散歩することを欠かさなかった。
体調を崩して床につくようになり、最後のひと月ほどは娘たちに代わる代わる看病してもらいながら亡くなった。
自宅での大往生。

おさわばあさんは口数の少ない人だったが、肝心なところはちゃんとみていて、幼い頃の私に様々なことを教えてくれた。
ものを大切にすること、
食べ物を粗末にしないこと、
悪いことをすると己に帰ってくること・・・
暗くなるまで遊んで帰ると「ことりにさらわれる」と度々言われ
「小鳥がどうして私をさらうのか」と不思議だったが、あるとき気づいた。
「小鳥」ではなく「子とり」(人さらい)だと。
気づいたとたん恐ろしくなったのを覚えている。
幼い頃の記憶には、おさわばあさんの小さな身体とずんぐりした手と、息をフウフウさせながらおやつの用意などしてくれた日々が残っている。
私は長い間、このおさわばあさんと寝ていたんだっけ。

叔母は今、おさわばあさんの生き様に己を重ねつつ、身ぎれいにと暮らしているのだな。
えらいなあ〜。

一方、ほぼ同い年の家のばあちゃん
このところ毎日パジャマのまま008.gif
嫁さんの連日「髪、とかした?」攻撃にあい、髪の毛もじゃもじゃはなくなったが・・・
外へ出ないからってどうなの015.gifって思う。
さあて、そろそろ「お着替えしましょうね」攻撃を発してよいのでは013.gifと目論む。

かく言う私も未だ部屋着(寝間着とも言う)のままだったわ012.gif
えへへ。
誰のためでなく、己のために、身だしなみ、整えよう。


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今年はまだぜんざいを食べていませんでした。
鳥取県内は、お雑煮が小豆雑煮という地域も珍しくないのですが、我が家では雑煮は薄口醤油ベースが定番です。
ぜんざい用にと求めて置いた小豆が気になりつつ、やっと今日煮ることができた。
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2椀で一人前を「夫婦ぜんざい」として商っているところがあるらしいけれど、
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夫婦それぞれに愛用の椀で食べる「夫婦ぜんざい」、
椀は、きしもと工房さんで求めたお気に入りです。
少し大きそうに見える内側全体朱色なのが私用です。
お餅が沢山入っているように見えますが、4分割にし焼いて入れた丸餅1個分です。

ぜんざいを食べると正月ボケから仕事モードに切り替わる感じがしますね。

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暖かいですね。
ここあんの中は寒いけど、裏庭へ出れば・・・3月くらいな感じ。
ホントに冬なんだよねえ023.gif
春の七草をいくつかみつけたよ。
さあ、どれだか分かるかな?
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1月の外遊びは例年「初詣&七草がゆ」012.gif
ここあんの裏庭で最低限賄えそう。


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今年は酉年
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♪一羽のにわとり ケッコー
 二羽のにわとり ケッコー ケッコー
 三羽のにわとり ケッコー ケッコー ケッコー

わらべうたの如くケッコーな一年になると良いね
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誰かが忘れていった折り紙のニワトリ
こういうの考える人ってすごい005.gifと思う。

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新年あけましておめでとうございます。
今年初めのお日様が昇るのを家の窓から眺めました。
美しい黄金色の朝が広がっていきました。
日本中の様々な場所でこのご来光を見つめる人たちがいるのだろうなと、そう思うと人々の歓声がすぐそこで聞こえるようでした。
きっとよい一年になりますね。

お雑煮にかもじのりを添えて、一年ぶりの味にしみじみします。
「ああ、おいしい〜」
元旦もお仕事に出かける人たち(今年は2名)を送り出し、まずはブログでことはじめ。
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今年は長年仕舞い込んでいた羽子板を飾ってみました。
私が生まれてはじめて迎えたお正月にお祝いとしていただいた品だと思います。
ですから50年以上前のものですね。
子どもの頃、大人の目を盗んでこれで羽根つきをしたものです。
もちろん見つかる度に叱られたのは言うまでもありません。
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今年は孫が生まれるので、羽子板と破魔弓、両方を飾ってお腹の中のベイビーたちに歓迎の意を表してみました。

親にしてもらったように、できるだけ次の世代に同じようにしてやれたらいいなあ。
特にお正月には引き継いでいきたい暮らしの豊かさが沢山あるもの。
それぞれの家庭のお節やお雑煮、お正月遊び、初詣・・・。
次の世代の人たちにしっかりバトンを渡せるように、今が踏ん張り時かしら。

♪羽根や 羽子板 いらねども
 江戸の とっつあんに あいたいわいな
 ほーけきょ けきょ けきょ けきょ

(鳥取のわらべうた)

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ここあんの室内より外の方がぬくい015.gif
なので久し振りに裏庭の点検。
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あら?まだ秋だったかしら・・・美しい色005.gif
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きゃあ〜っ!いつの間に色づいて、しかも豊作006.gif
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抜いても、抜いても元気のよいミントが柔らかな葉を広げ012.gif
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べっぴんさんの「のげし」を発見023.gif
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おぬしやるな013.gifちゃっかりかまどの中に根を下ろしているとは・・・。

やっぱり春は良いわね〜015.gifって、違う違う、これから冬本番なんですが。

甲斐信枝さんの絵本「のげしとおひさま(福音館)」をNHKテレビで知ってから、にわかにのげし好き。
寒い冬でも、種が風に舞う様子を見ることが出来るかしらね〜。


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ふとした瞬間に、子どもの成長を感じることがある。
もう「子ども」と呼ぶような年齢ではないけれど、
私にとっては幾つになっても「私の子ども」だ。
「私の」というのは、もしかすると母親特有の感覚かも知れないね。

いつの間にか、こんなに大きくて頼もしい背中になっていたこと。
愛する人を優しい眼差しで見つめることが出来るようになったこと。
どんな時も、おだやかでいられること。
へえ〜、すごいなあ。
大人になった息子たちに最近ちょっと驚いている。

しかしまだ、私の子育ては終わらない。
これからは父親になる彼らを見届けなければならないもの。


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知らぬ間におかしな物さしが身についてしまう。
嫌なことだけど、そう言う事ってあるんだ。
無意識に人やものを色眼鏡で見てしまうようなこととかさ。

「粉茶なんて、美味しくないよね」(偏見)
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あら、美味しい〜063.gif(確信)
実体験によって私の偏見は覆された。

人との関係も知る(関わる)ことでしか本当の理解は出来ない。
子どもの、ありのままを受け入れよう。
いつもそう心がけるし、そうありたいと言い続けている。
けれどそれは容易くはない。

自閉症の青年を取り上げたかつてのNHKの番組。
「人の視線が怖い、刺すような眼差しが怖い」
青年の言葉にドキリとした。
どんなに取り繕っても、瞳は語るのだろう。
さて、私は彼の前に立てるかな。
数年経って新たな番組の中の彼の言葉。
「人はどんな困難な状況の中でも幸せを見つけることができる、そう思います。」
なんて素晴らしいんだろう。
本当の困難を知っているからこそ言える言葉に勇気をもらう。

私の中には種々雑多な偏見がうようよしているに違いない。
そのひとつ、ひとつにまずは気づくこと、できれば打ち消すこと、そして増やさぬようにしていきたいね。




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