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「開く」ということ

場を開くとはどういうことだろう?
このところずっと考え続けている。

そもそも私は、開くことが苦手な人間なのだなと最近になって気づいた。
NPOの活動、そして子己庵も、一見開かれているようで実のところ相手を選ぶ。
「どなてでもどうぞ」と言いつつ無意識に門を閉ざしてしまうところがあるのじゃないか。
例えばもっと活動を外へと開くことが得意な方がリーダーだったら、外へ外へとつながりを広げてゆくことの出来るリーダーがいれば、こども未来ネットワークという組織は全国に有数の子ども系NPOになっていただろう。
そして結果、子どもを取り巻く環境に良い影響を及ぼすことが出来たかもしれない。
結局の所、組織は人なのだ。
子己庵だってそう。
子どもの居場所になりたいと言いながら肝心の「だれでも」を受け入れる覚悟が私自身に欠けている。
ぐずぐずしているうちに10年が過ぎてしまった。

実は↑ここまでの記事は先日「下書き」に書きかけて途中やめしていた文章。

そして昨夜、こちら↓代表のお二人(ご夫婦)のお話を聴いて目が覚めた。

彼ら(お二人)との決定的な違い、それはつながりたい相手がはっきりしているかどうかってこと。
救いたい子どもひとりひとりに寄り添うくらし。
それは彼らの生活そのものであり、実際に求める子どもがいて、彼ら自身もやりたいことなのだ。

対して、私に救いたい子どもが見えているか?と考えると、「NO」。
救いを求める子どもの姿に現実味がない。
子どもたちの置かれている現状を、本当のところ、分かっていなかったんだね。
心を閉ざし、行き場(居場所)もなく、苦しんでいる子どもたちの姿は、私のようにのほほんと生活している人間の目には見えないのかもしれない。

ここあんを開くときなんとなく描いた夢(こどもの居場所になること)にずっとずっと囚われていた。
出来もしないのにやろうとしてたなんてあきれちゃうね。
もうよそう、「子どもの居場所」になりたいなんてこと。
ほんとにほんとに心の底から思っていたならすでにやれてるはずだよ。

今、境港では「子どもの居場所(ひみつきち)」をつくろうという熱意を持った人たちがいて、学んだり、話し合ったり、実際に行動に起こしたりし始めているそうだ。
近い将来、町の中のあちこちに「ひみつきち」ができて、子どもや大人がそれぞれの居場所を見つけられるといいね。

さてと、少しばかり気持ちはすっきりしたけれど、「場を開く」ことの意味については、まだ整理できていない。
誰のために、何のために場を開くのか、ここあんはまたまた迷走する。


by coco-an | 2018-08-29 09:09 | 庵主ひとりごと | Trackback | Comments(0)

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